LifeStory 理事土屋福美子

両親への感謝の思い

私は4人兄弟の次女として生まれました。

1歳の頃のころ病院でクル病の診断を受け、このままだと足がO脚に曲がってしまうので手術をした方がよい!と医者に勧められ両親は相当悩んだそうです。結局、今でいうセカンドオピニオンの先生から「まだ小さくて骨が柔らかいからもう少し大きくなるまで様子を見た方が良い」と言われ手術をやめたそうですが、もしその時に手術をしていたら今の自分ではなかったと思うと恐ろしく思えてきます。

その後は、両親の手厚い看病でクル病も発症することはなく、幼少期は電信柱やブロック塀など高いところに上ったりする活発な子供に育ちました。

このことを大人なってから母に聞かされてた時には、とても大事に育ててくれたのだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

実家は大家族

私の実家は父親が長男だったため私が生まれたころは父の両親や兄弟姉妹、母方の祖母など10人以上の大家族で隣同士二棟に住んでいました。

私には異母兄弟の兄と姉がいるのですが、実母は後妻だったため今思うと大家族の中で相当苦労をしたのだと思います。

私は実母の長女ですので、気丈な母の期待とプライドから幼少時よりかなり厳しく育てられました。私は母の料理が大好きだったので一緒にお手伝いしながら料理を教えてもらうのがとても楽しかった思い出ですが、子供の頃から自然と周りの大人の空気を感じて母のために良い子にしていないといけないような感覚もありました。

今となってはそのお陰もあり多少のことではめげない精神力と思いやりが身についたのかと思います。

父が私に伝えてくれたこと

父は税務関係の仕事をしていましたが、とても友達が多くたくさんの人から慕われている人でした。賑やかに飲むお酒が大好きで、家にはよくお客様が来て宴会をしていた記憶があります。私も小学生くらいからその場に交じって酒のつまみを一緒に食べていたそうですが、その甲斐あってか?今でも美味しいおつまみとお酒が大好きです。

 

その父が肺腺癌になり緩和病棟に入退院を繰り返した際に、私はよく仕事帰りに病室に泊まり込みに行きました。その時が大人になってから一番父といろいろな話ができた貴重で大切な時間だったと思っています。

よく父は自分の想いをノートに書き綴っていました。

亡くなった後にそのノートを読ませてもらった時には、余命3か月と宣告され死にゆく者の心が綴られていて本当に胸が張り裂けそうになったのを思い出します。

体調の変化が日々あることでの死への恐怖、それによって気持ちが浮き沈みしてしまう自分の気持ちを何とか保つ為、そして母を心配させたくない為にノートに書いて気持ちを整理して頑張っていたのだと思います。

 

読んだときは辛かったですが、今となってはノートを残してくれたことに感謝しています。

一人で考えているとどんどん落ち込んでしまうらしく、父は私と話をすることでその場だけでも気休めになること、良いことも良くないことも含めていろいろな話ができることをとても喜んでくれました。

自分が亡くなった後の母の心配や私たち子供の将来について、そして死を迎えることへの恐怖や悲しみなど今思うと考え深いものがあります。

父は病院で最後は息を引き取りましたが、もう話すことができなくなった父が私を見つめる最後の目が今でも忘れられません。母のことは私が最後まで面倒見るから大丈夫だから安心してね!と目で伝えたのを覚えています。

 

父が亡くなった5年後に母も逝去しましたので母が亡くなってから暫くは両親が生きていない孤独感と空虚感に心が折れそうになり自分を見失いかけた時期がありました。

そんな時に私を支えてくれた家族や友達には言葉では言い尽くせないくらいにとても感謝しています。

人は本当に苦しい時に誰かに話を聞いてもらい心に寄り添ってもらいたい。

でも家族だからと言って話せるとは限らないこともあります。

両親が亡くなった悲しみは時間ととも薄れることはないですが、今はそれを受け止めて生きていくことが私の人生だと思えるようになってきました。

 

2016年おひとりさま支援 家族代行サービス事業をスタート

両親が愛情深く育ててくれた感謝の気持ちを社会の為に役立てたいと思うようになり、

私は今、おひとりさま・一人暮らし高齢者・おふたりさま(子供がいない夫婦)が

病気になった時、認知症になった時、亡くなった時に家族の代わりにサポートする「家族代行サービス」の事業を行っています。

 

家族の代わりに入院時の手続きやお医者様との話合いに同席する事もあります。また、身体機能が低下して一人で生活する事が難しくなった時は、施設の見学に同行したり契約に立ち会ったりします。心身共に機能が低下した時には気力や体力が無く判断力も低下するからです。亡くなったあとは、遺体のお迎え、火葬場でのお見送り、納骨や散骨、遺産や遺品を後世へつなぎ整理が終わるまで、私達が家族の代わりになって全て行います。

おひとりさまの支援を私が行う事で、おひとりの方が「家族がいてくれるようだ」と笑顔になってくれるのが喜びであり、生き甲斐になっています。そして「もしもの時に頼れる人がいる事でこの先安心して生きていけるわ」と嬉しい言葉もいただいています。

 

もう15年以上前の話ですが、「1つ目の会社ライフプランサポート業務(株式会社ウィッシュレーン)を立ち上げた時に運命的に出会った大和代表と私とは正反対の生い立ちや性格です。しかしながら、目指すところの「家族のように温かくサポートできる事業で社会貢献がしたい」という強い気持ちと同じベクトルを持ちこれまでずっと一緒に仕事ができていることにいつも感謝しています。今までに私達が関わってきた多くの人達には当初、この社会貢献での事業内容は素晴らしいけれど実際に本当に事業として成り立つの?

現実的じゃないよね。と言われることもあり同期してもらえずに離れていく従業員の人もたくさんいましたが、そんな時にも2人で考えるといい案が湧き出て相乗効果が出ました。

今後も大和代表の信念のもと、自分達を信じてお互いに切磋琢磨して高め合える関係で社会貢献していきたいと思います。

おひとりさま・一人暮らし高齢者・おふたりさま(子供がいない夫婦)の今困っていることや将来困ることへの不安の相談役としてまた、ただの相談業務ではなく解決に導ける自信を持った事業でお役に立てる仕事をいきたいと思います。

私の父の残してくれた余命3か月から綴ったノートには、死を迎える人の気持ちや家族に伝えたい思いがが書かれていました。この経験からご自身の思いを伝えるツールとしてWeb版のエンディングノートなら病院でも書けるものをと考え、弊社で開発しました。そして大切なご家族に確実に渡す事が可能な仕組みにしました。

ご家族がいないおひとりさまは、私たちの会社が家族の代わりになり願いを叶えます。

 

2025年には、一人暮らし高齢者が750万人に達します。

ますます高齢化社会になりますが、人でしかできない温かいおもてなしの心で

一人でも多くのおひとりさまに安心してもらえるサポートをし続けたいと思います。

 

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